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天竺木綿|オリジナル性の高い暖簾を作るなら

飲食店や小売店などの店先でよく見られる暖簾は、
屋号や商号などが目立つように描かれていることも少なくありません。

元々は、禅家において冬の寒さを防ぐために、簾(す)の
隙間を覆うための布として使用されていましたが、現在は
店先や部屋の境界に、日よけの目的や目隠しなどのために
つり下げられています。

のれんの形

店先で使用するものに関しては、暖簾が出ていることが
営業中のしるしにもなり、デザインが目立つことで
客寄せの効果も果たします。

天竺木綿は、矢や厚手の生地であり、たて糸とよこ糸を
平織り物の一種になります。

この名前の由来は元がインドから輸入されていたことにちなみます。

白地のままカバー類や粉袋に使用したり、漂白・染色をして
シーツやテーブル掛けをはじめ様々なものに使用されています。

商売を行う店にとって、暖簾はただの日よけや目隠しではありません。

「のれんに傷がつく」と言われるように、店の誇りや
伝統の象徴でもあるのです。

お客さんを呼び込む目的も果たす為に、オリジナル性の
高いものを作る事が重要になります。

天竺木綿を使用してオリジナル性の高い暖簾を
作るときには、染料を用いて生地を着色させることで
木綿が持つ自然で優しい独特の風合いに、染めの
インパクトが加わり特徴のある肌触りのものを作る事ができます。

この素材は様々な方法で着色が出来ます。
直射日光にさらされる場合は、耐候性のある
インクでのプリントも選べます。

平織りのしなやかな素材感はそのままに独特の質感を持った
オリジナルのものが作れます。

また、価格帯も比較的安価で手に入れることができ、
専門の制作会社で天竺木綿によるオリジナルデザインの
ものを依頼できます。

製作会社

インドの旧名「天竺」の由来とは?

インドはかつて「天竺」と呼ばれる国でした。
その由来となったのは、後漢書にてその様に記述されるようになってからのことです。

それまでは、司馬遷の「史記」においては、インドを「身毒」という漢字を当てた記述がなされています。中国に比べると場所が離れていることか、日本の記述に天竺が登場するのはかなりあとになってからのことになります。

日本においては、「義経記」に天竺という言葉が初めて登場し、その記述の中では当時唐土と呼ばれていた中国と、天竺、そして日本を合わせて全世界との記述がなされています。

当時はまだ欧米との交流がなかったことが伺える記録で、近隣諸国のみの認識しかないことが記述から理解することができるようになっています。

原義では印度のことを当時は天竺と称されていたものの、日本ではその原義から離れ、はるか遠方の異国から来た珍しいものに対して天竺という言葉が使われるようになりました。

天竺という言葉を接頭辞として使う言葉の使い方が生まれたのです。例えば、かつてはダリアのことを天竺牡丹と呼びましたが、これも同様の使い方であり、オランダという遥か彼方の異国からもたらされた牡丹ということから、天竺が使われています。

帆布|幅広い用途で用いられている暖簾の綿生地

織り目が鮫の肌のように見えることから、シャークスキンと
呼ばれている生地があります。

暖簾やのぼり、横断幕によく使われる生地で、天竺よりも
厚みがあるのに柔らかい風合いが魅力の生地となっています。

染めることでさらに美しくなり、オリジナル暖簾を作って
店先に使用している人も多くいます。

生地の種類丈夫であることも特徴ですが、帆布よりも
薄手になるため、いろいろな用途に使われる
こともあります。

暖簾に使用される場合は、撚りの強い糸2本と
太めの糸1本を交差させて織り込み、表面に
凸凹とした表情を作ります。

最近アパレル製品に使用されるシャークスキンでは、
縦横に別々の糸を使用することで、織り目や柄をはっきりと見せる
効果を狙い、これを鮫の肌に見立ててシャークスキンと呼んでいます。

スーツに仕立てた時のシャークスキンの魅力は、何と言っても
伝統的スタイルが決まることです。

イギリス紳士のようにスリーピースで仕立てることによって、
洗練された男性の色気を感じさせるスタイルとなります。

そして最近ではカラフルなプリントを施したシャークスキンも販売されています。

スタイル

様々な柄が販売されていますが、程よい厚みがあるために、
クッションカバーやエプロン、バッグなどにも応用されて人気となっています。

全国各地で行われている祭りで使用する演舞にも、
シャークスキンの法被が用いられています。

シャークスキンは染めやプリントをした際にもにじみにくいという
特徴があるため、チームで揃えたい法被には最適なのです。

 

スーツの歴史|スーツはいつ登場した?フランス革命との関係とは

1789年のフランス革命を境に、男性のファッションというのは大きく変わっていきました。

それ以前は、チャールズ2世が出していた「衣服改革宣言」に基づき、白いシャツに半ズボンで上からコートを羽織ると言うようなスタイルでした。ですが、フランス革命期はズボンが長ズボンに変化し、上着が米裾を切り落とし後が長いデザインになりました。

そのため、この時の服が現在のスーツの起源と言われています。現在のようなスーツの形になったのは1900年に入ってからで、当時は上流階級の服装として使用され、夕食時には必ずスーツを着てご飯を食べるような風習があったようです。

また、日本でスーツが広まるようになったのは明治時代で、日本では礼服として日常用に用いられるようになり、その後サラリーマンが使用する通勤着となっていきました。

特に、戦後にかけて日本では機械の発達が著しく、大量生産が可能になったので一般の人に広くスーツが普及するようになり、明治時代と比べて多くの人が着るようになりました。

1980年代以降のバブル期にはダブルボタンなどのルーズなシルエットが流行しましたが、現在では海外のものが主流になり、芯材が一切省かれているものが多いです。